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アンアン創刊号&最終号

若者を揺るがした

an・an

1970年、日本の若い女性がこれからの生き方を学んだ。

「 an・an 」1970年創刊 

日本初のL版ファッション雑誌として平凡出版(現・マガジンハウス)から出版された 。当時、日本の女性が気軽に海外旅行へ行けない時代に海外誌 フランスの「ELLE」とタイアップして大版グラフィカル・ファッション誌として発売された。

アートディレクターは、創刊号から49号まで堀内誠一が担当。創刊号の表紙撮影は立木義浩が担当、イラストレーターの大橋歩や小林泰彦、原田治など、初期メンバーとして活躍した。

ファンタジーな世界

当時の若い日本の女性が憧れるファンタジーな世界。一般化していない外国文化の憧れが大版グラビアによって広がるイメージがこれからのファッションやライフスタイルに影響を与えた。

それまでのカタログ的な雑誌ではなく、外国文化の様々な話題や生活スタイルのグラビアを紙面に載せた影響から、多くの若い女性がこの雑誌によって、日本社会における、これからの女性の自立や生き方を学んだケーススタディー的なカリスマ雑誌となった。

「パリの日常」

 「パリの生活 ジーン・バーキン」

 

当時の日本での広告出稿でもこの大版広告がなかった。L版グラビア雑誌という初めての雑誌を制作するため、印刷会社はわざわざ大版印刷用に専用印刷機械を導入したことは有名な話である。


「外国の最先端なインテリア空間」

 

横文字タイトル、大版オールグラビア印刷など初めてづくしの前衛的で革新的な雑誌は歴史的な価値のある雑誌として、とても貴重なものとして大切にされている。

 

 

イラストレーターによるタイアップ広告
「イラストレーション 原田治」

 

メンズ雑誌 POPEYEなどにも影響

アンアン誕生以降、平凡出版(現・マガジンハウス)から刊行された雑誌には、アンアン創刊時に携わった編集メンバーがその後、POPEYE、BRUTUS、OLIVEなど数々の雑誌を誕生させたのです。

 

「アメリカ蚤の市 フリーマーケット情報」

  

当時、平凡パンチに、ポパイの創刊お知らせ広告を「men's an・an 」として宣伝されるほど、アンアンはポパイの基本ベースをクリエイトした雑誌である。

「バークレー とサンフランシスコの学生たちの生活情報など」

「ショッピングマップ・モノ紹介」コーナーは、 
その後、創刊する様々な雑誌にも採用された。

 

70年代に刊行されたアンアンは、日本の女性のスタイルを一変させた超最先端にリードした日本のファッション雑誌として、伝説的な記憶を私たちに残している。

 

 

堀内誠一による1970年創刊1号 から 1972年49号 までのおおよそ2年間の編集されたアンアンは特に挑戦的な内容となっている。1979年「さよならアンアン号」をもってそのスタイルの終了を迎える。1980年代にはスタイルを新しく進化させていった。

 

70年代のアンアンという雑誌には、これからの女性の生き方をエディトリアルにクリエイトした堀内誠一をはじめとした編集者たちの夢と希望が詰まった素晴らしい名雑誌として貴重な若者文化資料の永久保存版としての価値があるだろう。


Text by Gene - SPs.

 

出典・引用・参考文献:wikipedia/pinterest/ an・an 1970年創刊号 平凡出版(現・マガジンハウス))/20世紀エディトリアル・オデッセイ時代を創った雑誌たち(誠文堂新光社)/雑誌づくりの決定的瞬間堀内誠一の仕事(マガジンハウス)/STUDIO VOICE Vol.339 雑誌文化伝説'70-'85(INFASパブリケーションズ)